2日目

新宮は文人佐藤春夫や中上健二、医師の大石誠之助が生まれ育った街だ。熊野三山のひとつ熊野速玉大社を擁する信仰の街であり、熊野の木材の集散地として栄えた街でもある。新宮から運ばれた木材は江戸時代から明治、関東大震災を経て、昭和前期にいたるまで東日本を支え続けた。

 

今日もいつものように電車に乗っている。熊野川を越えて県境を跨ぎ新宮に至る。しかし、到着したにもかかわらず、線路はすぐに地図上から隠れてしまう。この街ではじめに見えたのは、新宮城址の地下を通るトンネルだった。電車を降りたらまっすぐに、正しい地図を確かめるため、城跡のある小高い山に登る。高いところから見下ろすと、一つの街を理解したような錯覚をする。熊野川の上流を向くと速玉大社が見え、そこから神倉山まで、42号線に沿うようにして新宮の街が広がっている。

 

この旅は観光旅行ではないけれど、旅行をすることは、旅という一つの格子を選び、そこに当て嵌めて物を見ることになる。

 

今夜は温泉宿に泊まる。2日目だからゆっくり考える余裕も生まれる。僕は旅の責務を十分に果たしているのか。そんな疑問が頭に浮かぶ。

 

風呂から出る時、もっと長く入っていればもっと身体を温められたのにと、後悔する。本当は身体を温める筈だったのに、途中で熱さに耐えられず身体を冷やすことを選んでしまう。いつかは風呂から出なければいけない。でも、それが十分だと言えるのはいつか。これってみんな考えているんじゃなかろうか。

 

悩む時も同じようなことがある。僕は自分では悩んでいるつもりでも、実のところ風呂上がりみたいに、すっきりとした気分になっていることがある。悩みの「次」にくるものがなにもない。周囲の人たちは、悩みの次に何がきているんだろうか。

 

今日はここで終わり。