骨2

人生

「"人生"の意味」って言い方は変だ。人生でも「人生の意味」でも言わんとすることに大差ないのに、わざわざ人生「の」意味と併記するのはしつこい。

"人生"から意味を切り離すことは難しい。今までの人生を話そうとすると、お世話になった物事や、転機となった出来事、ずっと根に持ってることなど、意味のありすぎる事ばかりが語られてしまう。これからの人生も同様で、将来の夢や計画とか、日本経済の悲観的な予測とか、そういうことを言う羽目になる。

逆に「人生は無意味だ」と言うのもしらける。わざわざ"人生"とかいう意味ありげなものを選んで、わざわざ"人生"とかいう意味ありげな言葉を使って、そこまでして、無意味について語りたいのかと思う。"人生"は動植物の生でもなければ、ある一瞬の時でもない。"人生"は意味になった何かだし、"人生"について話す人は意図せずとも意味に取り憑かれている。

 

尾骶骨

尾骶骨は骨なので、悲しい時に励ましてくれたり、嬉しい時に一緒に喜んでくれたりしない。私は尾骶骨を持っていて、尾骶骨は私の一部である。私が人生について話す時、私は私の人生と、私の人生に含まれる私、この2つのことに気を配って話している。私は人生について話す時に、(尾骶骨を含んだ)私の話をするけれど、尾骶骨の話はしない。

尾骶骨はずっと確かにあるものだ。だから人生の意味が生じるあらゆる場面に、尾骶骨を付け加えることができる。意味ありげに臍の緒を切り産声を上げた時にも、意味ありげに喉仏を骨壷に収める時にも、尾骶骨はある。

私は尾骶骨を含んでいる。

何も出たり入ったりしない。そういう身体が私です。

 

 

追加①(1/12 大河ドラマ感想)

NHKは殺伐とした展開でしか面白いドラマを作れないのかなと不安になりました。

 

世間では何か辛いことを経験して、それでもなんとかやることを「乗り越える」「大人になる」というようですが、私には折りたたまれているようにしか、感じられません。