途中から?始める?

「〇〇って何?」

そう尋ねられたとき、どこからはじめたらいいのか、わからなくなる。目の前の質問は回答を促すけれど、でもそこからは始めることができない。19歳になって哲学を専攻しようと決めたときもそうだった。問題を私の意識から始めるのか、それともそれは社会から始まるのか、或いはテキストから始まるのか。結局、哲学は始まらなかった。何かを考えるということも、始まらなかった。

 

すりガラスの向こう側は灰色がかっていて、ここからでも寒いとわかる。頭痛とそれを誤魔化すための眠気で起き上がれずにいる。この白い部屋とこの白い壁。私の問題について、私は書き始めたいと思う。いつも、この部屋で、始めようと思う。

 

「私の問題は何?」

そう自問自答するとき、どこからはじめたらいいかわからなくなる。長い前置きを用意して、この頭痛、この白い画面からは始めないようにする。「私がここにいなかったとき」つまりは「〇〇のとき」から、話は始まるのだ。

 

まだ僕が小学生だった時、音楽が嫌いだった。テレビなんかをつけると、感動的だったり盛り上がったりする場面で音楽が流れてくる。それを聴いているとどうしようもなく恥ずかしい気分になって嫌だった。感動的な場面で、感動的な音楽が流れて、感動している自分がいて、その全てを人から見られたらどうしようか心配だった。だから音楽は他人を操作するための手段であって嘘の装置だと思うことにした。

 

10代になって音楽を聴くようになる。結局のところイヤホンをしていれば感動的かどうかなんて関係なかった。この頃が一番ひとりでいることに愛着があって、家族のもと、毎日何かを見つけているような気分で生活していた。今から数えると10年以上も前のことで愕然とする。

聴いていたのは60年代から70年代にかけてのロックとフォークだった。毎朝、ウッドストックの映画かビートルズの『マジカルミステリーツアー』を見てから登校していた。映画だと『イージー☆ライダー』とか『卒業』とか『勝手にしやがれ』が好きだった。学校では毎日そこそこに真面目な態度で授業を受けていたし、授業が終わった後には板書のノートを手直しすることもあった。僕はヒッピーでもなければ、ラブアンドピースでも、フリーセックスでもなかった。けど10代の自分にとって、映画の中の出来事は、たった4,50年前の出来事に思えた。当時の若者が生きた世界は、自分が生きるいまの世界と連続しているんだ、そんな感覚があった。

イヤホンをつけて歩いていると、98年から始まった僕の「いま」と69年から続いてきた歴史の「いま」が折り重なって、あたかも二重に現実を生きているような気がした。本当は「悪いこと」なんて一つもなくて、ドラッグでトリップしたみたいに自由で、最後には社会の不理解で死ぬ。センター試験の過去問を解きながら、そんな気分になっていた。

 

散歩を始めたのも10代の頃、小学校を卒業する前後だった。あの時の自分には可能性があった。歩くたびに発見があった。一昨日歩いた道と昨日歩いた道、それに今日歩いた道を重ね合わせる。現実が幾重にも折り重なって、一つの地図になった。誰かと出会うこともなかったし、散歩をすることで日常の生活はなにも変わらなかった。でも、何かを知ることで、私の生きる場所それ自体が変化しているような気がした。

 

自分の意識が、自分の身体が、世界を二重に生きていく。そして、世界が何重にもあることを発見していく。ちくわはまずうまい食べ物だし、私は浦島太郎だった。

 

 

2024年、東京でサラリーマンをしている。社会人とは思わない。うまいものを食べているようで、昨日の食事さえ思い出せない。

「複雑で多様なもの」を、しかし綺麗に重ねていたつもりだったけれど、そうではなかった。折重ねられた層状の世界を、はっきりと見通していたつもりだったけれど、気分のうねりは、まるで天気みたいに変化して、止められなくなる。興奮しては失望してを、どれだけ繰り返したところで世の中は無関係にそこにある。

 

映画の世界では、死ぬことはカタルシスであり目的地だった。若者は生き生きと生きるから社会に殺されるし、死ぬからこそ、生き生きと生きる。私は二重の世界を生きていたし、私は私の足で生きていた。二重の世界は一見矛盾していたとしても、私の前にそう現れたということで、なおも生き生きとした真実だった。

 

こうやって色々思い返しているうちに、ひとつ打ち明け話をしたくなってきた。実はずっと打ち明け話をしたかったし、もちろんここまでの話も、充分に打ち明け話である。まるで、話さなくてはいけないことがあるかのように、続けて書く。

 

打ち明け話によって開示される「秘密」は、私に最も近い真実でもある。excuseを重ねていくことで、納得することができる。

「けど、それを聴くのは誰だろうか?」

 

筆舌に尽くしがたい経験がある。言葉にしようとしても、うまくいかない。だから、悩むことになる。でも、悩むことに何の意味があるのか。「一刻も早くこの状態から脱したい」「解決策は何なのか」「どうしたらいいのか」そうやって悩むことは、焦り続けることでもある。

 

絶対的な近しさのうちにあるような心の真実。それを誰かに伝えられた時、打ち明け話は打ち明け話以上の、言葉以上のものになる。

 

ここまでで中断。2024年2月。

 

ここから再開。2024年3月。

 

後から読み返してみてもよくわからない。ここから先の展開は、おそらく自分の頭の中に、つまり、「絶対的な近しさのうち」に、心のうちに、あったのだと思う。そして、ここまでに書かれていた言葉は、それを「伝える」ことに従事していた。だけど、それって大切なんだろうか。

誤解があれば会って話そうとするし、仲良くなるには同じ釜の飯を食べなきゃいけない。近ければ近いほど、伝わるような気がする。

 

言葉は近くにあるものではない。ましてや、書いたものは、後から読み返すと遥か遠くにある。僕の書いたものだけでなく、もう生きていない人も書いている。

 

僕は「近さ」という価値を、脳の中に、心の底に、自分の最もそばに、叩き込まれてきた。

だから、どうすれば遠くにあるものや書かれたものの価値を、なおも……することができるのか。

 

伝えたり、主張したり、打ち明けたりするのではなくて。